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【プレス掲載】2013年8月31日産経新聞夕刊

個人的な部分が多いので、こちらに載せるか少し迷いましたが、せっかくなので。
記事の通り、稚内へ向かっていたので、新聞が今手元にはありませんからどんな形で紙面に載っていたのかは分かりませんが、ネットには多く転載していただいていたので、そこから。

式典は、事故を契機に毎年行われ、今年が26回目だそうです。
毎年事故を想ってくださっている人々がいることにも感謝ですが、それだけでなく、地元の小中学生が平和について考えるきっかけにもなっていて、6人の代表者が発表を行っていました。次の世代につながる慰霊のかたちが嬉しかったです。

さて、こちらは法人設立4か月。TOB塾を初めて3か月。
まだまだ種まきの時期ですが、この一区切りを契機に、第二ステージに進んでいこうかと思っています。(詳細はまた後日)

これについて、いろいろ思うところは、あまりにも個人的すぎるので、ここでは割愛。
自分自身がいきなり劇的に何か変わる、なんてことは普通の人間なのでありませんが、一歩一歩気持ちを入れて。それが少しずつ自分の中で当たり前になっていくように進んでいきたいと思います。(山口)

 

大韓機撃墜30年 父奪った空に誓い 「新しい一歩。頑張るよ」
西宮の32歳男性、あす慰霊碑へ

2013.8.31 13:20

 日本人28人を含む乗客乗員269人が全員死亡した大韓航空機撃墜事件から9月1日で30年を迎えるのに合わせ、兵庫県西宮市で学習塾を運営する山口真史(まさし)さん(32)が、1日に事件現場のサハリンを望む北海道稚内市の慰霊碑を訪れる。犠牲になった父=当時(32)=と同じ年齢になった山口さんは「今年塾を開き、新しい一歩を踏み出した。これからも頑張るよ」と報告するつもりだ。
 旧ソ連の領空に侵入し、サハリン上空で同国軍の戦闘機に撃墜された大韓航空機に乗っていた父を亡くしたのは2歳のとき。遺体は戻らなかった。
 物心ついたときから母と2人の姉、祖母の5人暮らし。航空機が墜落して亡くなったと聞いたが、父がいない理由を突き詰めて考えたことはなかった。
 今年4月、亡き父と同じ年齢になったのを機に、事件と真正面から向き合う覚悟を決め、初めて事件を題材にした本を読んだ。家族からは、海外での仕事を任される機会が多く、念願の長男誕生に大喜びしていたというエピソードを聞き、記憶にない父の姿がおぼろげに浮かび上がってきた。
 「出張からの帰りに突然、理不尽にも人生を絶たれ、無念だっただろう」
 当時、東西冷戦中だったことを考慮しても、何ら落ち度がないにもかかわらず、幼い子供たちを残して逝った父の胸中を想像すると、悔しくてたまらない。
 父が命を失ったのと同じ年齢を刻んだ今年は、山口さんにとって、転機の年でもあった。  生徒の成長を実感できる社会科教諭の仕事に魅力を感じていたが、「問題や悩みを抱える生徒を支えたい」という思いが募り、4年間勤務した兵庫県内の私立中学・高校を退職。6月、不登校や非行を理由に中退したり、高校になじめなかったりする生徒を対象にした学習塾を開いた。
 塾を紹介するホームページでは、事件で父を亡くしたことや、高専を中退し、大学に入り直した自身の経歴にも触れている。
 「厳格だったという父は、ほめてはくれないかもしれないが、酒を酌み交わし、じっくりと話をしてみたかった」という山口さん。一つの区切りとして、稚内を訪れることにした。
 1日には「命を授けてくれてありがとう」と、父への感謝の気持ちを込めて慰霊碑に手を合わせる。


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